映画「ロスト・イン・トランスレーション」の感想
いやに評判がよくて東京が舞台でよく描けているというので観たかったこの映画。。
脚本賞やいろいろな賞をとりまくっているんですよね。
外国人からみたらすごくいい作品みたいですね。
我々日本人、しかも同じ時代に東京に住んでいる人間が観ると、苦笑いしてしまう場面がちらちらと出てきています。
がそれもぴりりと辛い山椒ていどのもの。
心に軽~い引掻き傷をつけながらも、外国人からの視点で日本を感じることができます。
異国の地で、異邦人になった気分が味わえました。
異邦人から観た日本はなんて騒々しくて雑多でいいかげんなんでしょう。
日本人の心は外国人には到底理解できなくてうわっすべりしているんだなあと感じました。
ハリボテのような世界でうごめく異国人。その中にいる異邦人。
その中で文化とか芸術って何の意味も成さないんだなあと感じました。
そこに存在していても伝わらなかったら意味がない。
空虚なものです。
灰色の景色のうつろな建物に囲まれて浮かぶ光景は疎外感をあらわしているようでした。
自分が本来存在している場所から遠く離れて、ポーンと放り出された場所で呼吸している。
その中での出会いでほっと息をつける時間、場所、人。
長い人生の中のほんの一瞬、ひと息ついた瞬間の出会い。
一言でいうと、倦怠と退廃と失望の中での安息、連帯感。
感情を共有している同志みたいなもの。
やっと煙草を吸える場所を見つけて一服。
そんな感じですかね☆ ← いいかげん^_^;
サントリーのウィスキーのCMを撮るシーンでは、「いいのか?サントリー。これを許したサントリーは太っ腹だなあ」と思いました。
しかも日本語通訳、すっごくいい加減な訳だし☆
大人の配慮だとしてもあの訳し方は端折り過ぎ。ニュアンスさえも伝わらないぞ。
でも実際にそんなものなのかも。
大御所の○田奈津子さんもハリウッドスターの来日の時に通訳としてついているけどけっこう意訳しているし、本業の字幕の訳も「え?それ違うだろ」というのがあるから。
ハリウッドスター役で出てくる映画のPRのため来日した女性がキャメロン・ディアスっぽくて笑えた。
この作品は日本人を描いていない。日本も東京も描いていない。
「日本で触れる文化や人やものを通して起こる感情」をもった人と人が出会って共有して別れた。
年取ったハリウッドスターは倦怠を。
若い人妻は孤独を。
日本に来ることによってそれが強く感じられた。
普段は棚上げになっているか、日常生活にまぎれて気づきにくかったことが鮮明になった。
非日常にいることによって、自分の中から何かが失われていく感情を味わった。
それだけのことだと思います。
いつもの自分から切り離すことができれば、日本である必要はない。
言葉が通じる英語圏や欧米諸国でなくて、気分的優位を感じられて、自分の感情に浸れる場所ならどこでも可能なことです。
本国にいる妻から時々送られてくるファックス。
仕事で忙しく飛び回っているカメラマンの夫が部屋に戻るわずかな時間。
それだけが自分を見失った二人にとって現実に戻り、繋がれる瞬間です。
あとはふらふらと東京という空間にさまよい、喪失感の中に漂っています。
パークハイアットの深夜のバーは、時差ぼけで眠れないときに一杯ひっかけに、または一服しに使うというのはいいなあと思いました。
さすが外国人。
私なんかは部屋の中でぐるぐるうだうだするか、ロビーに行ったりするしかなさそうなのに。
あとは鬱屈したり、時間ができたらジムやプールを利用するっていうのも私には縁のない健康的な発想でした。
ホテルを使いこなすことができるくらいの暮らしをしたいもんだわなどと思いました(ため息)。
でもパークハイアットにあんだけ滞在すると、どんだけかかるんだ~^^;
自分探しという贅沢には、時間とお金がかかるものですな。