ある時から、いいかげんに生きることにした。
いいかげん、というのは、どうでもいい、ということでなく、いい塩梅、という意味のほう。
無理はせずに適度な感じとでもいおうか。
頑張って頑張って、自分のことは後回しにしすぎて、
いつのまにか自分がいなくなっていた。
年だけは重ねたまま、ふと気が付くと何も残っていなかった。
流れに逆らわず、ゆらゆらとただよってもいいかな。
そう思えるようになったのは、カウンセリングに通い始めて1年半以上経過した頃だったと思う。
何がきっかけかわからない。気がついたらそうだった。
心療内科の先生は、私と合わなかった。
毎週1時間カウンセリングの時間がある。
その間中、狭い部屋の中で向かい合い、ひと言も言葉を交わさなかった。
それが1年以上も続いた。そんなものなのだろうか。
通うのをやめればよかったのに、当時の私はそれさえできなかった。
何種類かの薬は、飲んだり飲まなかったりした。
薬に振り回されている感じがしたので、途中でばからしくなった。
あの頃の記憶は残っていないし、前後の年代感覚もぼんやりしている。
やわらかいゼリーみたいなもので包まれて、周りから隔離するように
遮られていたような感じで、いつも覚醒がはっきりしなかった。
タイムマシンで時間を行き来しているとこういう感覚になるのだろうか。
あ、思い出したことがひとつあった。
あの頃は神経が研ぎ澄まされたみたいだった。
本能が目を覚ましたというか、動物的だなあと感じることがあった。
あの頃は夜に眠れなくなり、外がようやく明るくなってから眠っていた。
それでもたびたび眠れないことがあった。
そんな時は決まって地震があった。
地震の起こる直前には、決して眠ることができなかった。
・・・なまず?
今はそんなことないのに、不思議な体験だった。
いっぱいいっぱいになったら、ニュートラルにすればいい。
ハンドルにも遊びの部分が必要なように。
・・・そういって、何年になるだろう。ま、いっか~。-----
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