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「朝の読書」運動


全国2万校を突破したというニュースが☆

朝の授業前の10分間を使って生徒と教師が一緒に本を読む「朝の読書」運動。

10分だとどれくらい読めるのかしら?とちょっと思った。

モノにもよるけど、1冊をだいたいどのくらいで読みきるんだろう。

10分でも習慣にしてしまえば、本を読むという行為自体が苦にならなくなりそうだ。

本を読むのが目的なんじゃなくて、続けることが目的なのかも。

続けるための手段としてこの運動があるのかな・・・なんて一瞬考えてみた。

続けることができるようになれば、禁煙とかダイエットとか自分の意思でできそうだもんね。

何事も、続けるのがいちばん難しいと思う。しみじみ。

「活字離れ」が問題になったのはいつ頃だったかな~。

若いときに本にたくさん触れるということは個人的にはいいことだと思う♪

私はバカみたいに本を読んだ時期がある。

マンガも読んだけど、活字もそれこそマンガ以上に読んだ。小説やドキュメンタリー、エッセイ、コラム・・・。

ひとり気に入った作家さんやコラムニストの作品に出会うと、その人のを全部読んだ。

今はその時に蓄積された知識や感情の引き出しからいろんなものを取り出しているような気がする。

大人になってからだと瑣末的なことがらに時間を割かなければいけなかったりで純粋に本の世界に入り込む機会がないような気がした。

時間をとるのが難しいっていうか、他にやらなければいけないことがあったりするのでついつい後回しになったり。

「時間とは自分でみつけるもの、作るものだよ」

とは誰に言われた言葉だっただろうか。

知性と教養は本を読むことによってついてくるもの。

いい本との出会いがその人の人格をかたちづくり、人となりを奥深くする。

・・・みたいなことも、言われたか本で読んだのか・・・。もう忘れた。

本でなくとも、他の方法はあると思うけど、本は有効な手段だと思う。


1988年に千葉県の高校で始まったこの「朝の読書」運動は、97年から全国に普及し、今では小中学校で50%を超え、高校では26%の実施率。

なんで高校は低いんだろ~?


学校の図書館をよく利用したのは小学校の時だったような気がする。

次いで中学校の時。ナントカ全集(抱えて持っても凧くらいあるような大きさの、絵画や美術品が載っているような)にはまってよくめくっていたり、人体(内臓や器官)の写真集とか見ていた^^;

高校の図書館は試験前に勉強する時には利用したけど、本を借りたりとかは小中学校の時のそれより少なかった。

品揃えが似通っていたのかな・・・とちょっと思った。あまり記憶にない。

大学の時は完全に試験の時だけ。あとはレポートの時。借りるなんて面倒くさいので図書館で資料として本を読んでいた。

今思えばもったいなかったかも。滅多に読めない本とかたくさんあったんだろうな~☆
大学の図書館の本は「貸し出し禁止」「持ち出し禁止」のラベルが多かったし。
地元の歴史みたいな本もたくさんあって、そこではじめて新潟の昔の様子を目の当たりにしたこともたくさんあった。

神田の古本屋さんめぐりをしてやっと読めるようなレベルの本がドカドカあったな~。


学生じゃなくなって住んでいる地域の図書館は、近くないと利用しづらい。施設も地域によってかなり違うので、よほどのことじゃない限り常連にはなれないと思った。

私は引越し回数がけっこうあるけど、利用しやすい図書館はまだない。どこも一長一短だ。

座って机に向かって読んだりできる数があまりにも少ないので行く気がしない。

学校みたいな図書館って難しいのかな・・・。

ファーストフードやファミレスやコーヒーショップだとざわざわしていて落ち着かないので、落ち着いて本を読んだり勉強ができるところが欲しいなぁ・・・。

家ではいろいろとやることがあるのでできませなんだ。

よく作家さんや漫画家さんで、仕事場を借りている人がいるけど、よ~く気持ちがわかりました。^^;


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