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歴史のおベンキョウ ※隠し文字あり


※隠し文字あり(不自然なスペースや、()や<>の間を反転するとあ~ら不思議☆)

今日は午後から突然えらいイキオイで雨が降ってきました。

ザアア・・・とかでなくて、バラバラバラ・・っていうか、
うちには一部トタンっぽい屋根があるのですが、
ガツガツガツ・・・みたいな。

どうやらそれは雨粒の中にヒョウみたいな氷の粒が混ざっていたようでした。
急激な雨で一気に冷えるとそういう現象みたいなのが起こるらしくて
珍しかったです。でもほんと一瞬でした。

今日は午前中に家事をして午後からは昔買った歴史の教科書をパラパラ眺めていました。
教科書って書店で買えるんですよね。
私が持っているのは、4年前に問題になったモノです。
教科書問題、ありましたよね。その教科書です。

内容についてはまあ、いいとして、けっこう重宝してます。
あー、アレって西暦何年だったけ?とか、誰がアレ作ったんだっけ?とか
ど忘れしたことなどをすぐに調べたり、年表を見たり、時代ごとの美術品とか見たりするのに。

教科書に限らず、地図なんかも買って持っています。

なかでも買って良かったな~と思うのは、

「なるほど世界地図帳」(昭文社)いろんなデータが載っていて楽しいのなんのって♪

日本版もあるらしいので買いたいです♪

***********以下は歴史に関するつぶやきです☆興味のない方はスルーをば

さて今日は日本史の南北朝時代に想いを馳せました。
この時代って歴史のブラックホールというか、ちょっと敬遠されている時代なんですよね。

鎌倉幕府 - 南北朝の争乱 - 室町幕府のあたり。

南北朝とは二つの朝廷が並び立つ状態で、それは約60年も続いたんですよね。

この時代のキャラクターといえば、後醍醐天皇、楠木正成、足利尊氏、新田義貞、足利義満あたりでしょうか。

この後醍醐天皇のキャラクターがえらく強烈で、ずっとこの人のことが頭に残っていました。

天皇としては異例の振る舞いをしたことで有名なんですよね。

とてもここでは書けない・・・。

後に歴史から抹殺された密教を信仰していて、自らがその法を行っていたといわれています。

この方、けっこう波乱万丈の人生です。えらいパワフルです。
天皇になるまでも大変でしたし、なってからも何回もひどい目にあっています。
(数々の陰謀と策略が渦巻いている中をよくぞ辿り着いた、くらいのイキオイです)
しかし、天皇ということで難を逃れていることもいっぱいあります。

鎌倉幕府から謀反の疑いをかけられ、問い詰められた時には「黙秘権」を行使して、仲間は殺されたけれど自分は助かったり・・・。
まあ天皇だから、おいそれとは殺されませんけど。


いろんな目に遭いながらも、あらゆるところで反幕府勢力を蓄え
(山伏、修験者など特殊技能をもった集団や「悪党」など・・・)、かなりの禁じ手(?っていうか、ジョーカーがたくさん、みたいな感じかも^^;)の力を利用して、
足利尊氏らと共に鎌倉幕府を倒してしまいます。

武士だけでなく、社会から恐れられている層の人たちを武力として加えるというのはかなりの破天荒かもしれません。
そういう見地からすると、彼の信仰した密教は男女和合のものなので、それも特筆すべきかも(この時代は男女を対等として考えることは少なかったので、異例) )

後醍醐天皇は、夢にまで見た「天皇中心で貴族や寺院の利益を考えた」建武の新政をはじめますが、2年ちょっとで崩れてしまいます。(はやっ)

頭がよく、カリスマ性もある後醍醐天皇ですが、それがもはや時代に即したシステムではないということに気づいていなかった、いや気づきたくなかったのでしょうね。(やはり小さい時から天皇になるまでの環境や状況も少なからず影響があるのでしょう)

しかし時代の流れは武士の力を無視できないものになっていたんです。

そして武家の力を生かすような政治体系が整わなかった(または重きをおかなかった)のでしょう。

鎌倉幕府の誕生によって、武士たちは自分の力に目覚めており、何かあれば自分たちが武力にうったえれば、武力のない貴族や天皇は何もできないことに気がついていたので、武士たちの不満を考えない政治というのは早々とダメになってしまいました。

足利尊氏が京都に新しい天皇を立て建武式目を定めますが、これは「武家政治ですよ~」ということを明らかにしたもの。

しかし、後醍醐天皇は、三種の神器を持って奈良の吉野に逃れます。

後醍醐天皇のいる奈良(吉野)が南朝京都を北朝(室町幕府)とし、二つの朝廷が出現します。

北朝にいる天皇(光明天皇)は、後醍醐天皇の持って逃げた三種の神器がないので正式には認められなかったようです。

この必須アイテム、かなりのパワーアイテムです。

後醍醐天皇、だてに修羅場を踏んではいないようです。

今でもこのときのどちらの朝廷を認めるのかという論争があるかと思います。

(ちなみに、今現在の皇室は南朝系の血筋だという・・・。)

後醍醐天皇は皇室の方なので、非常にデリケート。

大騒がせの天皇さまです。


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