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あま~い○○


あまいお茶

京都に行ったときに買っておいたいい日本茶(煎茶)をおろして飲んでいます。

日本茶やコーヒーは賞味期限があるのですぐに飲まないときは冷凍できます。

いい緑茶は甘いですね。

煎茶や玉露もそうですが、お茶は淹れる温度もだいじ。

渋みや甘みが出る温度は違うのでそれぞれお好みで。

甘いお茶が飲みたいときは、お湯の温度はちょっと低めにします。

湯呑みを温める→急須に戻す 

を繰り返すとお湯の温度は下がります。

私はお茶請け(お菓子)が甘味の時は渋めに淹れます。

食後にさっぱりしたい時も渋めにすることが多いかな。

基本的に熱いお茶を飲むのが好きなので、渋みを感じるくらいが好みです。


日本茶の代表的な味成分にアミノ酸とカテキン類があり、そのバランスでお茶の味が決まります。

アミノ酸・・・うま味やあまみの成分 → 低い温度でも溶けやすい
※(テアニン)

カテキン類・・・苦渋味の成分 → 比較的高温で溶けやすくなる
※カテキン(カテキンの他にタンニン、カフェイン)

お湯の温度が高いほど、カテキン類が多く溶け出し、苦渋味が強くなる。

煎茶や玉露などの上級茶はアミノ酸を多く含んでいます。

玄米茶、番茶、ほうじ茶などの下級茶はアミノ酸をあまり含んでいません。

カテキンは上級茶、下級茶のどちらにも多く含まれているので、
両方を多く含んでいる上級茶を熱いお湯で淹れてしまうと苦渋成分が出てしまい、
せっかくのアミノ酸のうまみを殺してしまうことになります。

なので沸騰したお湯を湯呑みや急須に移して冷まし、ぬるめのお湯でゆっくり淹れます。

玉露     ・・・50~60度 2分半くらい茶葉に浸す
煎茶     ・・・70~80度 1分半~2分
番茶・ほうじ茶・・・100度   30秒でOK

ポットのお湯が90度
湯呑みに移すと5~10度下がって、湯飲みが温まると80度
それを急須に移して70度くらいでしょうか。

ちなみに水道水は、陶器の容器で一晩汲み置きするか、
二時間ほど日光に当てたものをヤカンに入れ、沸騰を始めてから蓋を取って、
更に五分程度沸かし続けると味が良くなり、有害物質も発散されるそうです。
ここまでくると茶道ですね☆

ちなみに茶道で淹れるお抹茶はうまく点てられると緑色の泡が細かく立ち、
ぶわ~っと膨らみます。

茶釜で沸かしている熱いお湯を、抹茶を入れた茶碗に注いで茶筅でかき混ぜます。
縦にも横にも素早く細かく動かして抹茶の粉が残らないように、手首だけを使う苦行です。
私のこの時いつも白鳥を思い浮かべます、上半身はあくまでも優雅に。手先は必死です。
最後にのの字を書いてゆっくりと茶筅を引き上げます。

よく先生は「若い人が点てるお茶は勢いがあって泡が細かくて美味しいわ」と言っていました。
私が習っていたところでは年配の方ばかりでしたので、力任せに点てていた私のお茶の味は違っていたのでしょう☆
先生や他の方々の点てたお茶は熟練の技とでもいいましょうか、穏やかな技巧の味わいがしました。

余談ですが

歴史上の人物のお茶の淹れ方に、小さい頃の私はシビレました。

あまりにも有名な「三献茶」です。

「石田三成は、ある寺の童子なり。
一日、放鷹に出でて喉乾く。
その寺に至りて誰かある、茶を点じて来れ、と所望あり。
石田、大なる茶わんに七、八分に、ぬるくたてて持まいる。 
秀吉、之を飲み、舌を鳴らし、気味よし、今一服とあれば、又たてて之を捧ぐ。 
前よりは少し熱くして、茶わん半にたらず。
秀吉、之を飲み、又試に今一服とある時、石田、此の度は小茶わんに少し許なるほど熟くたてて出す。
秀吉、之を飲み、其の気のはたらきを感じ、住持にこひ、近侍に之を使ふに才あり。
次第に取立て、奉行職を授けられめと云へり。」
  ↓ (現代文)
三成は、小さいころ佐吉といい、ある寺で修行(勉強)をしていました。
ある日のこと、この近くへ鷹(たか)狩りに来ていた秀吉は、喉(のど)がかわいたので、
この寺に来て「お茶をいただけないか」と頼みました。
修行の合間にお寺の用事をしていた佐吉は大きい茶わんに、
ぬるくたてた茶を7、8分目入れて差し出しました。
ごくごくとのどを鳴らして飲みほした秀吉は、お茶をもう一服頼みました。
佐吉は、茶わんに半分足らずの茶を前より少し熱くして出しました。
秀吉はこれを飲んで、さらにもう一服、お茶を頼みました。
すると、佐吉は、今度は小さい茶わんに熱い茶を少し入れて出しました。
秀吉は佐吉の気ばたらきに感心し、お寺の住職に申し出て、佐吉を家来としてゆずり受けました。

鷹狩は今でいうスポーツです。

喉が渇いている人に、熱いお茶を出してもすぐには飲めません。

自分より立場が上の人間に、でがらしのぬるいお茶を出すのは本来は失礼です。
3度目に所望された時に、相手が茶の味を愉しみたいことを見極めたのは見事です。

お茶を出すということは、相手への気遣い、心配りの有無が出ます。

「茶は服のよきように(千利休)」は茶道の真髄です。

そしてお茶の世界には、「一期一会」という言葉があります。
目の前にいる人とは初対面であり、ひょっとするともう二度と会うことはないかも知れない。
これも何かの縁である。
自分としては、精一杯努力して美味しいお茶を飲んでいただこうという心の現われです。

たかがお茶、ですが、されどお茶なのだなあと幼かった私は思ったものです。



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